大学進学塾・進学受験予備校の歴史
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大学進学塾・進学受験予備校の歴史

予備校の歴史
■ 高校生・受験生の皆さんへ
予備校がどのような所かイメージできたでしょうか。このページでは予備校の始まりについて学んでいきましょう。皆さんはいつ頃から予備校というものができたと思いますか? 実は意外と昔から予備校は存在しているんです。
まず明治5年、現在より140年も昔に学制が作られました。学校に関する法律と考えると分かりやすいと思います。
明治12年には教育令(学制に改良を加えたもの)が制定され、この頃から中学校や専門学校・大学への入学を目標とする予備校が存在していました。最も歴史の古い予備校には、研数学館、駿台予備学校などがあります。
戦前は大学受験というもの自体、一般には浸透していませんでした。しかし、戦争が終わり日本が高度経済成長期を迎え始めたころから、段々と大学受験が大衆化していきました。この頃に後に急成長する大手予備校、“河合塾”や“代々木ゼミナール”などの下地が生まれました。

予備校の歴史:大学進学予備校や大学進学塾の現代史・時代背景と流れ

予備校の時代背景って?
1970~1990年代前半に向けて学歴が重視されるようになり、就職活動をより有利にさせるため、大学受験が必須であり、また自己の重要なステータスを表すものへとなっていきました。しかしこの頃は現役よりもむしろ浪人して大学進学することが一般化しており、予備校は受験生の通過儀礼のような役割を果たし、独自の予備校文化も形成されていきました。1990年代後半に入ると、バブル経済の崩壊・少子化に伴い、大学の競争率自体が減少して行った為、浪人生の数は減少し、予備校は全体としては浪人生に向けての学習場所というよりも、現役生を浪人させずに現役のまま合格へと導くことに重点を移す傾向にあり、推薦入試やAO入試の対策、それに伴う高校の内申点・定期テスト対策などのニーズが高まっているのが現状です。

予備校の歴史:戦後以降の塾・予備校ブーム

予備校ブーム
時代の流れを少し元に戻しますが、戦後以降の最初の塾、そして予備校ブームは1970年代初頭だと言われています。その理由は、1960年代に様々な塾や予備校が設立され、そこに生徒が集まり始めたのが1970年代に入ってから、とも考えられます。このようなブームが到来した要因として
1.日本の経済成長とともに日本人が経済的に豊かになった
2.より沢山の親が自分の子供に高学歴を取得してほしいと考える様に成った

の二点が考えられます。
統計学的にどこまでこの二つの要因と塾、予備校のブームをつなぎ合わせることことができるか難しいのですが、当時の時代状況を考えれば、上記の二点は全く的外れとも言えないと思います。その後、1973年、第四次中東戦争が勃発し、日本はオイルショックに直面します。多くの企業が倒産したり、規模の縮小を迫られ、日本は経済的に大変な状況でした・・・が、塾、予備校はなぜかこのような状況にも関わらず、伸び続けました。むしろ、この時期、塾、予備校の生徒集めが過熱し、塾や予備校がマスコミで批判され始めたのがこの時期と言われています。 これを裏付ける一つの例が「学習塾110」なる電話サービス。塾や予備校に関する生徒のトラブルを解決するこの電話サービスが1977年頃に初めて作られたそうです。統計学的データを見ても、中学二年生の子供の約4割が塾に通っていた、というデータもあり、社会的に塾の需要が高まっていた、と言えると思います。

予備校の歴史:一大ブームを呼んだ【大学共通一次試験】

今で言うセンター試験に近いニュアンス
その後、塾、予備校ブームが再度到来するのが、1979年頃。このブームの最大の要因は当時の文部省が実施し始めた「大学共通1次試験」。 皆さんご存じの通り、国公立の大学を受験する学生を対象に、基礎学力を測るために実施したこの試験。このような全国規模のテストを受けないと国立大学へ行けない、その対策に塾や予備校が何もしないわけはなく、塾、とりわけ予備校への需要は高まりました。 塾や予備校には余り関係ないですが、この共通1次試験のおかげで、国立大学志望者が、滑り止めのためか、私立大学への受験者数は増加します。 1980年代に入り、さらに塾、予備校ブームが過熱されます。その主な要因は、

1.第一次ベビーブームと言われる世代が丁度大学受験などの試験を受ける年齢となり、そういった成人人口の多さから、塾や予備校の需要はピークに達した。
2.日本経済は“バブル経済”で、日本人の経済的余裕がかなり生まれたため、より多くのお金が塾や予備校に費やされた。

このブーム、実は1990年代初頭まで続きました。実際、18歳人口が1992年にピークに達したので、そういった人口の割合と塾、予備校の発展はかなり関連していたと思われます。

予備校の歴史:受験競争激化・予備校や塾のニーズ

塾のニーズ
さらに、こういった人口の増加は必然的に受験での「倍率が高まる」という、受験を突破する難しさが高まります。ということは、倍率が高い、つまり受験者が多いと、入学試験は一般的にどうなるか?というと
より問題が難しくなる!!
という結果を招き、そういった難解な(あるいは重箱の隅をつつくような細かい)問題を解く対策として塾、予備校の需要は益々高まった、ということになります。結果として、より良い大学へ進学したい、という親の需要に応じて、塾や予備校は増え続け、また(比較的受験に有利な教育を提供するであろう)私立の学校への志願者が増えた、という流れとなった、といえます。

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